18  滅紫 ~けしむら~

 路地を這う光が車の侵入を知らせ、ふいに流れ弾となって男の顔を照らし出した。

マネキンの視線が彷徨う————

 そいつは丁度「だるまさんがころんだ」をしていたように体を硬直させて、まるで闇夜の猛禽のように息を殺してこちらを監視している。

 あまりにも青白く生気のない肌の色、そしてその恐ろしく端正な顔立ちとは本来これが作りものである事を意味していた。だが唯一こちらの出方を伺うその警戒心が生き物である事を告げている。


「おまえ・・・」

 先に声を発したのはマネキンの方だった。

「おまえ見えるのか————」

 そう言うや男は身を翻して走り出し、階段を一気に駆け降りた。

「ん、ま待て!」

 ————こいつは何かを知っている。

 奴が駆け出すまでの僅かな時間、銀次の頭を様々な可能性が過った。

————酔っ払いのコスプレ野郎だろうか、変な格好しやがって

————この界隈にはゲイバーも多い。寧ろそっちか

 何しろそのマネキンの服装と言ったら気障としか言いようがない。黒いレザーで身を纏い光沢のあるワインレッドのシャツを着て、そのくせ頭まですっぽりとフードを被っていた。場所柄にもいろんな事が考えられたが、だが違う。そのどれでもない。

 ————あいつは何かを知っている。

 間髪入れず男を追って階下へ降りた。その筈だったがあっという間に相手を見失っていた。

「坂は上がらないだろうな」

 男坂を右に見て、当てずっぽうで中通りへ出て辺りを見回したがもうどこにもいない。

 女装サロンと噂のある店を通り過ぎたところで声がした。

「銀ちゃん」

「オダマキか、丁度いい。黒いカッコした白い人形みたいなやつ見なかったか?」

「何言ってるの銀ちゃん、遂にイカレちゃった?」

「まあいいや・・・メールする」

 銀次は部屋を開けっぱなしで来たことを思い出した。

「今は?」

「そーれでもいいんだけど・・・また今度にしよう」

「おけ」

 部屋も心配だったがよく考えたら「一体俺は何のつもりで外へ出たのか」と思う気持ちが先だった。

 あの紅い万華鏡を手にして中を覗き込んだ時、全ての記憶が蘇った。あの小さな町の事も、三〇一号室の事も、そして錫乎と紅掛のことも。だからといってどうしようというんだ。戻るのか?あの場所へ。再びあの坑道を抜けて。

 不思議なほど静かなこの東京の真ん中で、北海道のかの地への思いを寄せて帰路につく、そんな彼の頭の中では今もこうして次々と小さな記憶が蘇り続けていた。

 桃華マンションへ戻り三階へ上がる。銀次は左手に折れ三〇一号室の扉の前に立った。病院から帰った時、警備員が話してくれたが材料が揃ったというのに例の管理人の爺さんは今日の施工を許さず、その為板が打ちつけられている。だがそういう意味では現状のままであり何事も無さそうな事を確認した。ただ同時にそれは彼にとって再びあの扉を開けてあの道を行くのかどうかを自身に問いかける事でもあった。

「少なくとも褻は避けるべきだな。それに、それにあの男・・・」


     *     *     *


「———お前っ!」

 あろうことか奴は銀次の部屋にいた。銀次が無理やり置いた狭い台所の椅子に座り僅かに申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。銀次はこの時初めてそいつの表情というものを見た気がした。

「すまない。勝手に上がって。ただうっかり外で話し込むとあんた独り言を言ってるようにしか見えない・・・そうだろ?」

「おまえ・・・」

「ああ、そうか。逃げた事か。気が動転してさ。まさか見えるやつがいるなんて想定してなかったもんで、それでつい」

「おまえ・・・」

「あんただってわかってる筈さ、俺たちが・・」

「お前いいから黙れ。まず靴を脱げ。・・ったく」

「えっ、そうか・・・?」


 禅問答の様に滑稽なやり取りの果てには妙な相互理解という安堵の空気が漂った。男が足早に要求したその安心感はしかし銀次にとっても同じことだった。

 男は名を可士村(かしむら)と名乗った。

「先祖代々的にはケシムラだが————」

「おい話は後だ、なんか飲むだろ。ビールか?それとも・・」

「ビールか・・普段飲まないが是非この時代の缶ビールってやつを」


ゴクッ————

「ふう・・・うまいじゃないか」

 銀次は錫乎に勧められて飲んだ甜茶の涼やかな味を思い出していた。それは遠い昔の出来事のように思えたが、もしも時間がまっすぐに繋がっているのならまだ昨日、一昨日の話でしかない。

「正直マネキンかと思った。生まれつきか?それ」

「どれ・・・?」

「のっぺりしてるだろ、お前の肌。無機質って言うか。それにその顔っていうか細い顎・・・アニメかよってな」

          *

 銀次にはかつて彼が歯医者で言われた事が念頭にあった。

「ほら今時あまり物を噛まないでしょう?」

 噛まずに済むような過保護な食べ物で溢れている、といった話だ。

「だから最初から親知らずが生えてこない子も増えてるのよ。生えても埋まったまんまとかね」

 虫歯すら無かった銀次の口内環境が急に老化を来した頃、掛かりつけの歯科医院で言われた事だ。そしてそれに先立ち当時の職場の後輩にはこんな事も言われた。

「根津さん根津さん。さっきの話ですが・・・。最近では親知らずは予め抜くのが常識って言うか、ほら、その方が磨きやすいし・・・」

 それは銀次が「なんで俺には歯が三十二本もあるんだ。原始的なのか俺は?」と、半ば冗談交じりに、残り半分は本気で大騒ぎをしていたせいだった。後輩はこれ以上銀次が恥をかかずに済むようにとこっそり耳打ちしてくれたらしい。

 人の進化退化に遺伝子レベルの変化が見られるのはたぶん数万年とか数千万年とか知らないなりにも永い年月を要する事は想像がつく。

 しかし顎がどうとか肌がどうとかそれが表面的な事で済むのなら意外と数世代の間に見て取れることなのかもしれない。

           *

「俺の時代は皆大抵こうさ。俺にだってそっちがまるで猿に見える」

「このやろう」

 さっきのアニメ発言を根に持ったのか随分辛辣な言われ様だった。だが嫌いなやり取りじゃない。意外と出て来る可士村の屈託のない笑顔に毒を消されている気がした。

「アンタ嫌いじゃないな」

「あ?」

 ひょっとして同じことを考えていたんだろうか・・・。

「未来から来てるって事は言われなくても誰でもわかる。でもだからと言って何でそうなる」

「さあなあ・・・。そうだ、これも要因の一つだろうと言われてる事だが、国は国民皆保険を遂に諦めた。そして代わりに国民皆バンクが既に定着している」

「ひょっとして骨髄じゃなく幹細胞だろう」

「お、察しがいいな。実際には何でもかんでもだ。この時代がどの程度かわからんが他の臓器は何とかなっても肝臓やられたらアウトなイメージあるからな」

「それで自分の身は自分で守らせ設備と管理、システムは国がやるから後は死にたくなければ税金として納めろと」

「頭がいいな。話が早い」

「で?質問の答えになってないが」

「なんだっけ」

「頭が悪いな」

 可士村の話によると無理な長寿が原因なのか単に遺伝的な必然か、現在のところは学者が揃って喧々諤々と議論しているらしい。だが大方のところ生物は本来死ぬべきであり自分自身の細胞移植によって繰り返される延命は神の領域、つまり神の怒りを買うというところにいつも話は落ち着くらしい。医学的な言葉に変えればどうやら副作用の事のようだ。

「未来人が神の領域などとは予想外だが副作用説には俺も賛成だ」

銀次は続けた。

「ただ一方でこんな話もある。人間はコレラを克服した途端にエイズを被ったと。その場合神の怒り説の方に分があるよな」

 もちろん神と医学を同じ土俵で言ってるわけじゃなく、どちらの場合にどちらの言い回しがふさわしいかといった事に過ぎない。

          *

 銀次は以前、車で丸の内を通過する際にビルの外壁から突き出すように張られた垂れ幕をよく見かけた。『江戸開府四百年』と書かれたその旗は日比谷通りに面したビルのいたる建物にも掲げられ、その年が二〇〇三年だった事を教えてくれる。

 その事を彼は多少の脚色を交え会社の若手に得意げに話したものだった。

「たったの四百年だぜ?世代的には十五世代か二十世代かとにかく昔の事だけど、もしも単純に百歳まで生きたおばあちゃんを直列に並べて数える事が許されるならたった四人分の時間だ」

 銀次の乱暴な、しかし人を唸らせる話術にそれを聞いた若い衆は皆、科学技術の発展の早さというものを理解した。

          *

「で、いつだ。いつからやって来た?」

「いつだと思う?」

 くっそー足元見やがって。こっちが今最も知りたい事が何かをちゃんとわかっていやがる。

「いいから早く言え」

「よし。ズバリ二二二一年、間もなくぞろ目のアニバーサリーだ」

「たったの二百年後じゃないか!」

「ああそうだ。たったの二百年さ。でもこの二百年は凄いぞ。世界中の人がこの2222をTYPEⅡ元年と呼んでいる」


TYPEⅡ————

 それはロシアの天文学者カルダシェフが提唱したカルダシェフ・スケールの第二章。惑星人の文明の次なるステージの幕開けだ。



* これはフィクションです。裏付けとなる文献はそれぞれに存在しますが何れも研究半ばであったり解釈の相違があったりする為、出典として提示する必要もないかと考えます。

 

昭和40年代生まれが書くブログ

SATIRE.TOKYOの小説サイト Sombre et fondre

0コメント

  • 1000 / 1000