17  マネキン

 壁紙のようにべったりと奥行きが感じられない。この地下鉄からの眺めはいつもそうだった。銀次はその真っ黒な闇の中に白い影を見ていた。
 そこには照明の反射によって自分の姿が映り込んでいる。だが彼は自分と鏡合わせのようにして立つそれが自分ではない事を知っている。顔の無いその影が彼に微笑む。だが顔が無いのに何故そう思うのかを彼は知らない。


 銀次は病院からの帰り道地下鉄に揺られていた。銀次には普段から様々なものが見えていたが、それらのものが今日は見え過ぎていた。時に好意的にすら感じられる多くのものが見え過ぎていた。

 それは例えばこうだった。

 病院の敷地にあるあのトウジュロと今は使われていない給水塔とのすぐ脇に、かつて池のある庭園を模して造られたであろう一角があった。とうに干からびた池の片隅には土手のように土が盛られ、そこにはどうやら橋をイメージして石が並べられていた。人が乗ることの出来ないその壊れた小さな橋を向こうから幻の老婆がやって来る。土と石とで造られたその摸造の橋は老婆が歩く度、右に左に大きく揺れた。

 それは或いはこうだった。

 出掛けに目にした机の上の散乱した書類の中から、文字たちが勝手に動き出しそして宙に舞い、浮かび上がった漢字の羅列が遊ぶように並び変わる。並び変わっても銀次には、意味など無いか分からなかったが漢字たちは満足げに落下して元の鞘に納まった。


 何時の頃からか持ち始めた彼の特異なその体質は、所謂霊感などというものとは迎合せず、同じ土俵で語れるものではまるでない。しかしそんなカテゴリーは彼自身耳にしたことは無く説明するにも無理がある。結果、それを人に話した事はない。
 あの戦後の八ミリ映像の時のようにそれが自分にだけ起こっている事かどうかが判らず、そのせいで時折露呈するぐらいの事はある。だがいつもそれで済んでいる。「またか、あいつは」と。



 銀次が仮にそれに依って悩んでいたのなら果たしてそれは安心材料と言えただろうか、彼は以前こんなテレビドキュメントを目にした。

 番組は主にアメリカやロシアに多く見られる数字が得意な人の話だ。特に難しい数式を知っている訳では無いので強いて言えば算数だが、十桁を超えるような数字同士の割り算や掛け算などが彼らは異常に速い。そして驚いたことに皆計算などしていないという。そしてそれら皆が同じ様な世界を見、同じ様な事を言うらしい。

「数字たちにはそれぞれ色があってその個性的な奴らが互いに勝手に並び変わるんだ。ボクは3が一番好きだな。そうあの黄色いやつさ。どうしてかって?ボクにとって3は一番フレンドリーかな」

 番組では後半、日本にはそろばんがあり、暗算の速度を競う大会で上位に来る人達は皆そろばんに卓越した人だと語られていた。そしてその人たちの脳ではヴィジュアル的にそろばんが弾かれているに過ぎず計算はしていない。だから前述の例と同じであるかのような話の括り方になっていた。
 銀次は随分乱暴な意見だと思った。訓練と体質とは別物だ。せっかくのいいモチーフをシナリオが台無しにしている・・・と。それは形は違えど当事者たる彼の意見だった。


 飯田橋でJRに乗り換える。毎度の事ながら乗り換えを良くわかっていない。確か地上に出ずに済むルートもあった気もするが特に今日は一旦は外へ出よう。
 体が風によろめく。
 病院のある街の地下鉄への入り口ではいつも突風並みの気流が起こった。だがこの駅で地下鉄風を意識した事は無い。通りすがりの主婦が咄嗟に両手を前に出し、銀次の身体を受け止めるかの様な仕草を見せた。開きかけた彼女の口許が「大丈夫ですか」と言っていたが笑顔で頷く彼に無言のまま立ち去った。

 実は彼の身のこなしはいつもそうだった。体に力が加わった時、わざとよろめく。その方が楽に外圧を殺しつつ流れるように体勢を立て直すことが出来た。人には「おいおい大丈夫かよ」と言われても銀次にしてみれば大丈夫だからこそやっているに過ぎない。その「踏ん張らない」体の使い方を初めて型として理解した瞬間があった。それが彼の古武術との出会いだった。
 ところがそんな彼にも今の出来事は昨日までのそれと違って感じられた。仮に銀次の身体を押したものが姿の無い「何か」だったとしても、感受性が昂っている今日という日を思えばそれは有り得た。だが今のは違う。ナンバの所作だ。いつの間にか彼は何かを体得し身のこなしが一段引き上げられていた。


     *     *     *


 家に帰ると机の上にはやりかけの仕事が散乱し、今朝出掛けに見たままに書類が積まれていた。随分長い時間手付かずで放り投げてあるように思えるが昨日の続きをやるだけだった。そう思いながらも結局は例のユニークな四字熟語を先ずは紐解くことにした。

 まず露往霜来(るおうそうらい)。日本では「露往き霜来きたる」と訓読し季節の移り変わり、中でも時の過ぎるのが早い事の例えになるらしい。
 次に雲壌月鼈(うんじょうげつべつ)。雲壌は天と地、月鼈は月とすっぽん。どちらも二つのかけ離れた違いを意味する。
 気に入ったのが往古来今(おうこらいこん)。綿々と続く時間の流れ、時間と空間の限りない広がりとあり、さらに「往古来今、之れを宙と謂い、四方上下、之を宇と謂う」と書かれていた。まさにそれは宇宙の定義と言えた。

 その時、今朝見た光景と同じことが銀次の頭の中で起こり、四字熟語は宙に浮かんで一旦バラバラになった。そしてその陽気にすら見える漢字の兵隊達は行進を始めやがて整列した。

「往・壌・来・雲・・・」
 壌?土?そうだった、地の事だ。地が往き天来る。
「古・鼈・今・月」
 古(いにしえ)はすっぽん、今は月・・・。
————だめだ。さっきから意識の広がりに際限がなく脳みそが拡散しそうだ。

 銀次は喉に渇きを覚え台所へと立ち上がった。はあはあと息を切らしながら冷蔵庫の扉に手をかけた時、テーブルの上に置かれたものに目がとまり扉ではなくそれを掴んだ。
「なんだっけこれ?」

————あれは
紅くて・・・そう、お手玉の様な
————何でしょうか
和風の柄模様、紅い筒


「そうか。昨夜の万華鏡・・・一体どこで」
 覗き込むとそこはいつか見た虹彩のように光の華が織りなす美しい世界・・・。

いつか見た・・・虹彩?
錫————
紅・・・紅かけ————
三〇一号————

ガタン————!
「紅掛っ!」

 万華鏡を放るようにテーブルへ置くと、銀次は椅子を倒しそうになりながら玄関に立ちサンダルを履いた。
「思い出した!」
 銀次は三〇一号室へ向かって駆け出した。

 そして足場に覆われた暗闇と通路灯の明滅の中、そこで彼はマネキンと目が合った。



*戦後のフィルムのモデルとなった映像がありますが便宜上8mmとさせて頂きました。
 実際には35mmフィルムではないかと言われています。

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