12  陸 霧の市松

~ ネアンデルタ—ルの想い 又は 霧の市松 ~


「起きろ銀!」

「早う兄者、銀鼠(ぎんねず)の兄い————」

「んん・・・・何なんだ?昨日から銀ネズとか何とか。俺は銀次だって」

「話は後だ。人が来るぞ」



     *     *     *



 この祠は二人が住処にするにはうってつけだった。

 山側からは人は来ない。来るとすれば対岸からだ。どちらも元は山深い土地だが向こうには辛うじて町が出来つつあった。そしてここへはあの吊り橋を渡らなければ来ることが出来ない。


「なるほどあれだけ揺れるんだからそれが合図になるってわけだ」

 尤も銀次の記憶にある在りし日の父のように、ゴム長を履いて子供を肩車し大股で川を渡って来られたのでは意味が無いが。


 婆さんが一人祠の前に何某(なにがし)かを供え、そしてまたギシギシと吊り橋を戻っていく。特に身構える事など何も無いが何しろ向こうにはこちらが見えない。少なくとも鍬や茶わんなどが浮かんで見えたりする事などないよう、最低でも息を潜ませてやり過ごす。


「変な事を聞くかもしれないが服なんかはどうなんだ?」

「服?」

「身に着けてる物だよ、どこまでが見えるとか見えないとかその線引きのような・・・」

 子供の頃から漫画などで親しみのある透明人間がいつも心の底からは楽しめなかった。


服だけが浮いて見えるんじゃ————

腕時計はどうなんだ————


 モノによっては服を脱ぎ、しかし多くの場合そんな些細な事と言わんばかりにお構いなしだ。今こうして当事してみると既に感覚的に分かっている事もある。だがせめて言葉が欲しかった。


「郷の者が言っておった。どっちが先かは知らないが未だ己の魂が宿っておるか既に神が宿ったかじゃと」

 銀次は文字通りわざと膝を打って見せ合点承知を合図した。



「———は銀鼠・霧市松♪ピル—♪」

「ねえ錫(すず)ちゃん」

「あい」

「そのぎんねずっていうのは、え—と俺?」

「んだんだ」

「俺の名前は根津銀次って・・・」

「兄者は銀鼠じゃ」

「・・・・そ、そうか」



「何かわかったか?」

「いや、ちっとも」

「そうであろうな。そもそも錫乎が口ずさんでおるあの歌は誰も教えてなどおらんはずじゃし・・・」

「ん?錫ちゃんは君が拾って育てたという事は以来誰とも口をきかず?友達も無く?」

「昨日熊がおったろう」

「ケモノには見えるらしいが・・いや、しかし・・・」

「そうではない。山には町の者は知らんがいろんな者らがおる。人のようであり、されど人ではない者やわしらと同じ者までな」

「その『人ではない』———ってのは一体・・・」

「よく下界の者たちには鬼などに例えられるあれじゃ」

「下界・・・か。何なんだ?その鬼の正体は」

「イデンが違うとかなんとかじゃったと思うが」

「まさか遺伝子のことか?こいつは驚いた!危険じゃないのか?」



 自分の想像が果たして的を得ているか、銀次は遥か遠く古(いにしえ)の隣人に思いを寄せた。

 それは一纏(まと)めに原人と呼ばれる太古の人類たち。いくら彼らが現人類と近いといってもそれは飽くまで亜種のことであり違う生き物らしい。

 しかし例えばネアンデルタ—ル人。最近の研究で彼らは数万年という短いスパンながら現人類と同じ時期を共に生き、我—の遺伝子の中にも僅かながらその痕跡を認めるという。

 つまり交流が———もっと言えば交配がなされていたらしい。



「質問攻めじゃな。まあよいが。少なくとも錫乎は可愛がられておるし何れにせよ連中とて錫乎にはかなわん。ところで・・・銀、お主の時代こそどうなっておる?」

「どうとは?———何を答えればいいのか・・・」

「先の戦争のような事はまた起こるか?」

「しょっちゅう———と言えばそうなんだが・・・安心しろ。第二次世界大戦のようなデカいのはまだない。少なくともこの邦はこれからしばらくの間繁栄を極めることになる」

「繁栄、か・・———」



     *     *     *



「———ピ—ルル白銀リ—・カイ・ライ♪ピ♪」

 錫乎の囀(さえず)る歌声は山—にこだまし、あちらこちらから鳥たちの合唱がそれに呼応した。


 紅掛と銀次は双方それぞれに感慨の深いものを胸に抱え、そして交互に、まるで答えがそこにあるかのようにお互いの横顔を盗み見た。

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