07 壱 早川
「兄者だと?・・・して,それはいつ頃の事じゃ」
「昨日の・・・」
錫乎は一人であの坑道(あな)を潜(くぐ)った事を叱られはしまいかと身を硬くして次の姉の言葉を待った。
しかも今回はこの姉妹が言うところの古鼈今月(こべつこんげつ)。ただ単にあの坑道を抜け結果的に東京へと空間移動する往壌来雲(おうじょうらいうん)とはわけが違う。そこでは時間的変化も付随した。しかし
「そうではない、時代じゃ。お主が行った先の・・・」
姉と思しきこの女、紅掛にはここ最近の錫乎の様子から何れこうなろう事はお見通しであった。もとより時空を超える古鼈今月は錫乎にしか出来ない。
「ほ、ほれ。江差の街を見に行った・・・」
「お主がこの土地の繁栄やら鰊(にしん)御殿やらが見たい言うての。あの頃か・・・ならば今より五十年ぐらい前の・・・」
言うまでもないが明治から大正にかけて北海道の日本海側一帯では鰊漁が盛んであり文献にも「鰊の群来(くき)とともに、海は銀色に輝き———」との記述がある。小樽や留萌に限らず江差近海もその好漁場で浜は水揚げで活気に満ち溢れた。
この二人が使う怪しげな四字熟語の意味は今はさておき姉妹たちが根城とするこの時代、どうやら時既に昭和と言えよう。
* * *
「何!逆じゃと!なぜそんな無茶を」
「い、以前大きな戦の後の江戸の繁栄ぶりを見に行った事があったじゃろ?」
「進駐軍を見かけた時の事を言うておるのなら今と同じこの世じゃ。あれは坑道を通り抜けただけで往壌来雲に過ぎん。既に今と同じように呼び名も東京じゃが・・・」
「そう、それじゃそれ。あの時に進駐軍の映写機を通して錫乎の万華鏡が見えたじゃろ?」
「・・・らしいの」
「それが呼ぶのじゃ。あっちじゃこっちじゃと錫乎を呼ぶのじゃ。百年・・・うんにゃ、姉者が言うようにギジュツのハッテンが想像以上に速いとすると五十年ぐらい後じゃろかの」
「あっちじゃこっちじゃって・・・そこは未来というのだ。要するに今より五十年から百年後の未来に呼ばれた、ということじゃな」
「んだんだ・・・・ほうか?」
「全くお主は・・・。兎に角そこにお主の言う兄者が居ってそれを持っておった、とこういう訳じゃな」
紅掛は錫乎が手にした紅い筒をちらと見やり、そう言って溜息をついた。
紅掛にしてみれば錫乎は妹というより寧ろ娘、彼女は育ての親だった。どこからやって来たのか錫乎はあの坑道で拾った捨て子に過ぎない。
その錫乎が時空を超えた先に居る者を兄と呼ぶのならそうなのかもしれない。なぜなら錫乎は妙に勘が働くところがあり、その勘所はときに人知を超える次元とも言えた。
そもそも単に捨て子と言ってもあそこで拾った以上は既に他所の時代から来ていた可能性すらあった。
* * *
「どんな男であった?その兄とやらは。やはりお主が兄者と呼ぶぐらいじゃ、きっと一角(ひとかど)のものであろうのう・・・」
「阿呆っぽかった」
「錫乎や・・・・」
紅掛は言葉を窘めるべきかそれとも笑ってよいものかがわからず、ただ下を向いて顔を歪め吹き出しそうなのを堪えた。
「でもなかなかの男前じゃった」
「ここもやがてはあの時代の様に鉄や石壁で覆われるのかの・・」
錫乎は山の谷あいをさらさらと流れる川——— 土地の者は早川という ———を眼下に臨み呟くように言った。
「あの道は真っ直ぐと東京の真っ只中に通じておったはずじゃ」
「・・・・?」
「つまりお主はその時代のこの土地を見ちょらん。わからんぞえ、錫乎が行った時代も意外とこのままかもしれん」
この時の紅掛が言った言葉は的中する事となる。
しかしそれは彼女たちが根城とするこの時代——— 根津銀次という男がこの地に生まれるよりはやく20年程前、およそ1948年頃に再開を果たしたこの鉱山が後に町として大きく発展を遂げそして再び衰退し、山が山としての本来の姿に戻っていく事を意味していた。
* 追記:作者は川の名前自体も早川と記憶していましたが・・・
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2019.07.04 13:02
2019.07.04 12:10