01 サイレントムービー
根津銀次はまたあのフィルム映像を見ていた。
もう何度目だろう。それは戦後まもなく撮影されたという東京の街の光景だった。
映像の質がいい―———
GHQが撮影したと書かれてありいわゆるサイレントムービーだがとにかく鮮明だ。
終戦というものがそうさせるのか行き交う人々は一様に活気づき、渋谷や横浜といった土地柄もあってかその顔は皆晴れやかだ。
若い女性たちはまるで七五三の様な晴れ着姿で自らを着飾りそれが普段通りであるかのように澄ました顔でそぞろ歩く。
学生服の男性は大正時代を思わせるようなマントを羽織りそれを翻すように見返りカメラを振り返る。皆エキストラなどではない。
足元までは確認できなかったが仮にこの学生風の男の履物が下駄でも、或いは革靴であったにしてもどちらも有りな気がする。
そんな時代的に混沌とした空気がパソコン画面を通し銀次の眼前に広がっていた。
ただ、銀次が来る日も繰り返し見ているのはそういった人の流れではなかった。
走り去る車—————
意外な事に国産のクラウンなど高級車が目立ちそれはまだ大衆車がその時代を迎えていない事を意味しているのかもしれない。
そして更にその通りを隔てて向こう側、車とすれ違うように画面を奥へと向かって歩く二人の女性たちがいた。背格好からしておそらく姉妹だろうか、仲良さそうに密やかに会話しながら歩いている。
「色の白いは七難隠す」というようにその白さが故に良く見える。最初銀次はそんな風に思った。だが注視する内に順序が逆である事に気が付いた。正確にはそのどちらでもないという事に。
まず彼女たちの美しさは本来的なものの様だった。そしてその白さは白ではない。まして白粉の様な事ではもちろんない。例えればそれはアニメなどで目にする手法、時空の歪みが発する光のスペクトルの様にも見えた。
そして今、その一角だけがなぜだか画像が粗い。
というのも彼女たちの肩を透かしてさらにその奥の理髪店のレンガ壁が見えている・・・そんな気がするのだ。
銀次は何も初めからそんな細かい事が気になった訳では無かった。
———— 技術的な問題だとしても意味が分からん
そう思っただけだった。
しかし次のシーンで銀次は息を呑み、例の二人組は彼の視線を釘付けにした。
「面白い動画があるんだ。今送るから・・驚くぜ」
「・・・どれだよ、全然わかんねーよ」
「何言ってんだよく見ろよ、1分27秒のあたり」
あれ以来、友人知人の何人かにその動画を見せてきた。だが結局言う事は皆同じ、口をそろえて
「お前最近疲れてるんじゃないか?」
しめし合わせた様に同じ反応だった。
動画の中、走り去るシボレーセダン。その奥に残る粗い画像。次の瞬間さっきまで通りの向こう側にいた筈の二人の女性が急に目の前に現れる。そして小さいほうの女がカメラを向こうから間近に覗き込む。
周囲の人の流れは連続していてそれを見る限り時間的な隔たりはない。カメラマンにも動揺は窺えない。
そもそもこの二人は身なりがおかしい。
姉と思しき背の高い方は腹掛けに股引き姿でまるで江戸時代の大工の様だったし、たすき掛けの小さい方は茶屋娘といったところだが変に着物の裾が短くしどけない。
こんな格好で出歩くこと自体人目を引きそうなものを誰一人として気に留める様子は伺えない。しかし、だからこそ銀次は初めからこの二人に目が行っていた。
その時の銀次の興奮にも似た混乱状態はその後も暫く続いた。
だが、日常というものはそんな事さえもいつしか彼の記憶の片隅へと追いやってしまい、そうやってその事は彼の日々の暮らしの中で埋没していった。
* * * *
都心にも一歩路地裏へ足を踏み入れれば古い佇まいの家並みがある。
銀次の住むここ外神田もそうだ。蔵前橋通りというこの国の大動脈に面していながらそこかしこにはそれぞれに古い由来の名の付く坂もある。付近には湯島天神や神田明神といった由緒正しい神社仏閣、或いは史跡などが多い。それを考えれば古い建物の一つや二つは当たり前なのだろう。
地方とはそれが廃屋かどうかの違いだけかもしれない。
「2Kといっても秋葉原にだって近いわけだし、もうちょっと取れそうに思えますが・・」
入居の際、賃料が安すぎやしないかと銀次は率直に聞いてみた。すると仲介業者は
「そうですか?秋葉原目当てのお若い方には決して安くはないかと・・それにだいぶ古いですよ」
という返答だった。
住み始めて気付いたがこっちがどうかしていたようだ。
この桃華マンションは増改築が激しくまるで木造を補強しただけではと思わせる、そんなふしがあった。鉄筋造、築35年という謳い文句はデタラメじゃないかとさえ思った。消防法やらがどうなっているのかは知らないがまさかさすがにそんな事はないだろう。
ただ、階段を挟んで向こう側、あの三〇一号室のある、そして無理やり繋ぎ合わせた感のあるその棟は明らかに木造を補強で覆った程度のものだった。
しかし、この最低限の空間 ———―マンションとは名ばかりのボロアパートで、まるで身をそぎ落としたかのような生活にシフトする。それは彼にとって山奥に安い一戸建てを購入する事と並ぶ選択肢の一つであり心躍らす新しい人生の第一歩だった。
銀次はかつて渋谷にあった「同潤会アパート」をイメージしつつ古いながらも洒落た空間づくりに精を出した。
実際にはいいところも多い。一つは大通りから一歩中へ入っただけで随分と閑静な事だ。耳を澄ませばひぐらしの声だって聞く事が出来た。
そしてもう一つは銀次の住む三〇五号室だけが周囲のビル群の形状を理由にたまたま日が当たる事だ。あいにく古いとはいえ何故か洗濯機置き場が無かったがこの都心の一等地ながら静かな陽だまりの中で外 ———玄関脇に設置した洗濯機を回すことは至福の喜びだった。
「この日当たりの良さはたぶんオーナーさえも知らんだろうな・・・」
銀次は洗濯機横に置いた椅子に座り煙草をくゆらせ
どうせ寝に帰るだけさ————
と思える年齢がとうに過ぎ去ったことを知った。
とにかく彼はこの洗濯機置き場すらない桃華マンションの一室を不動産として購入したわけではなかったしボロと言えども物件の割には確実に安かった。それに第一各路線へのアクセスに対しても立地がいいことに変わりはない。少なくとも訳アリ物件ではないことで安堵もしていた。
少なくともここ三〇五号室前の玄関脇、この陽だまりの中では平和そのものだった。
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